一週間の寝不足を解消するかのように、目が覚めたら昼前でした。曇り空は家から出る気を失くし、久し振りに家の中だけで丸一日以上を過ごしています。暑い中をうろうろしても体に良くないし、かと言って歩き回っていない訳でもないし。そろそろ撮影にも出掛けたいところですが、もう少し片付けなければいけないことの方が優先順位が高いので、どうなることやら。
日本のアマゾンで発注したストロボのトリガートランスミッターですが、7/19に中国の郵便局で受け付けとなったまま、もう十日以上もステータスに変化がありません。郵便局で受け付けて、そのまま放置してあるのと同じです。8/9から8/21の間に到着予定ですが、船便で来るのでしょうか。中国とか韓国は郵便ですら信用出来ません。いい加減なアメリカですら、郵便物や荷物の追跡はそれなりに機能しています。果たして予定通りに届くのでしょうか。暑中見舞いの返事が来たのは秋だったなんてね。
朝日新聞系列の写真月刊誌、朝日カメラの90年代の内容に付いて書かれている文章をネットで目にしました。当時の写真家は政治的背景が作品に表れていなければならないとか、哲学的な言葉で表現された選考委員の訳の分からんたわごととか、思想の表れていない写真は写真かとして認められないことが当たり前のように書かれていて、おいおいお前ら気は確かかよ、たかが写真だぜと突っ込みたくなります。日本の写真を駄目にした連中の本音と言うか、その思想を受け継いだ弟子達が今の写真界を牛耳っているとするならば、これは悲劇としか言いようがありません。芸術論を振りかざす前に、感動したらシャッターを押せよ。どうでもいい写真に後付けで理屈をくっ付けるなってね。
今でも当時の思想の流れを汲んで、写真に哲学を求めている連中は病気だね。だからこそ、写真展に入選する写真がへぼい理由が良く分かった。
今日の一枚は銀座を歩く中国人観光客です。理由や哲学を唱える前に、素直にシャッターを押せばこういう写真が撮れるってお手本で、子供のサングラスと手の出し方が良いですね。子供以外は顔の上半分がちょん切れているのも、子供に対して感動したからで、顔が切れていなければもっと良い作品になっていたなんて評論は大間違い。
シャッターを押した時の感動を写真を見た人に伝えられるか、それだけですよ写真なんて。哲学的思想も政治的背景も必要なし、たかが写真だから。
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